前回のブログでは、「千手観音化」してしまいがちな現代人の“手を出しすぎる日常”と、
それがもたらす迷走神経の混乱や筋膜の緊張についてお話ししました。
今回は、その続きをお届けします。
■与えられたのは、たった2本の腕
人間の胴体へ生まれて与えられるのは、ほとんど2本の腕です。
100本の腕を持つ人は存在しませんし、0本の人もそうそうめったにいません。
けれど日常では、鏡を見れば確かにそこにあるはずの2本の腕。
その2本ですら、うまく使いこなせていない方も多いように感じます。
- 右ばかり酷使して、左は飾りのように
- 両手ともにフル稼働で、オーバーヒート
- 気づけば、肩や腕が固まり「なんでこんなに疲れるの?」と戸惑う
まずは、
自分の2本の腕を“丁寧に扱う”ところから整えなおすことが大切です。
■筋膜から見えてくる「バランスの偏り」
筋膜は、皮膚のすぐ下にある薄い膜。
全身をつなぎ、動きを支える「ボディスーツ」のような存在です。
どこかを使いすぎれば、筋膜は引っ張られ、他の部分に緊張が伝わります。
特に手や腕は、現代人にとって“酷使しやすい部位”。
それが原因で、
- 肩甲骨の可動域が狭くなる
- 呼吸が浅くなる
- 腰や足への負担も増える
つまり、“手の使いすぎ”は“全身の不調”にも直結しているのです。
■足は使っていますか?四手観音からの提案
多くの人は「手を使いすぎて、足を忘れている」傾向もあります。
- 移動は車やエレベーター
- 立ち姿勢で体重のかけ方にクセがある
- 歩くこと自体が減っている
そんな日常が、下半身の筋膜を固め、
ますます上半身に負荷をかける悪循環に。
私は施術中、“四手観音”になります。
手だけでなく、ときには足も使い、
全身の筋膜を360度でリリースするよう心がけています。
手と足、どちらもバランスよく使えてこそ、
本来の巡りや可動性が戻ってくる――
施術後、「肩が軽くなった」「呼吸がしやすくなった」とおっしゃる方も多く、
筋膜の癒着がゆるんだことで動きやすさを実感されるようです。
そんな感覚を一緒に味わっていただけたらと思います。
■腕2本で見る。左右差のない“ありのまま”の自分を取り戻そう
・右は、我の強さ。
・左は、周囲への気配り
…なんて言われたりもしますが、
このブログを読んでくださっている方の中にも、
「気づけば手が忙しすぎる」「足が置き去りだった」と感じた方がいるかもしれません。
でも大丈夫。気づけた時点で、もうリセットは始まっています。
まずは、ご自身の2本の腕や手を感じてみてください。
どちらが硬い?どちらが冷たい?
そんなふうに“自分の手”に意識を向けるだけでも、
身体は静かに反応を始めてくれます。
そして、必要な方は、私の“四手”にお任せください。
丁寧に、静かに整えていきます。
次回のブログでは、『千手観音から選手観音へ⑶』「選手観音」という考え方と、
“全部やらない”からこそ整う手の哲学をお届けします。
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