メンターとは、長期的に相手の成長を支える伴走者のことです。
私は「メンターです」と前面に出したいわけではありません。
それでも、メンターという概念を学び続けています。
それは、施術という仕事が「身体だけ」を扱うものではないと知っているからです。
施術は、技術だけで完結する仕事ではありません。
同じ手技を行っても、
受け取る側の状態や信頼関係によって、身体の反応は変わります。
緊張している人の筋膜は、守りに入ります。
安心している人の呼吸は、深くなります。
だからこそ私は、
人とは何か。
関係とは何か。
そこを理解したいと思い、メンターという学びを選びました。
私が受けた養成講座では、脳の仕組みも学びました。
不安が強いときに呼吸が浅くなること。
緊張すると肩が上がること。
思考や感情が、そのまま身体に現れること。
身体に触れる仕事をしているからこそ、
「脳・思考・感情・身体」が分離していないことを、理論と体感の両方で理解する必要があったのです。
人は、人を通して学びます。
子どもを持つと湧く感情。
後輩ができると背筋が伸びる感覚。
それもすべて、関係の中で起きています。
身体に触れるということは、
その人の人生の一部に触れさせていただくことでもある。
私はそう捉えています。
私は、友人の多い祖父母と、口下手な両親のもとで育ちました。
親は仕事と家庭を大切にしてましたが、会話でのやり取りを大切にする方ではありませんでした。
その代わり祖父母は、なんでも話を聞いて受け止めてくれました。
その受容は子供ながらに安心でした。
けれど、社会の中でどう振る舞うのか、
どう助けを求めるのか、
どう距離を取るのか。
それを具体的に教わるには、世代が違うからこそ、今の社会とは少し感覚が違う部分もありました。
だから私は、
距離の取り方
頼り方
本音の伝え方
を身につけるまで、少し時間がかかりました。
学生時代も社会に出てからも、
周りには自然に相談できる人がいるのに、
私は家族以外に助けを求めることが苦手でした。
本音を言う前に、
「こう言ったらどう思われるだろう」
「迷惑じゃないだろうか」
と先に考えてしまう。
そして飲み込む。
そのちょっとした気のせいが、慎重さにつながり、気軽な言葉さえもしないようにしていたのかもしれません。
だからこそ、
「導いてくれそうな人」に憧れました。
答えをくれる人ではなく、
安心して本音を出せる相手に。
メンタルの専門家。
メンター。
カウンセラー。
肩書きは安心材料になります。
人は肩書きに安心しやすい。
私もそうでした。
けれど実際に関わってみると、
・本音が言えない
・空気が緊張している
・違和感を言葉にできない
そんな経験もありました。
コーチングの方と時間が経っても、本音をぶつけ合える機会がない感覚がありました。
そのとき感じたのは、
「この人ではないのかもしれない」
という静かな違和感でした。
本音を吐ける信頼関係は、
肩書きだけではつくられない。
ここが、私の大きな学びでした。
世の中に各地域でメンター制度はありますが、なかなか機能しない理由はそこかもしれません。
メンターとは、
優しい人でも、正しい人でもありません。
本音を許し合える関係を築ける人。
耳の痛いことを言っても壊れない。
言われても逃げない。
その関係を維持するには、
お互いが成熟しようとする姿勢が必要です。
関係は、与えられるものではなく、育てるもの。
そうやって相談者(メンティ)側を、しっかり経験してきたからこそ、
理想論だけでは関係は機能しないことを知りました。
そして、人の限界を知った上で寄り添える人ほど、人の成長を待つ余裕も違い
本当に頼りになるということも学びました。
そういう経験をせずに、
「あなたにメンターをしてもらいたい」と言われても、
自信がなくってやりたくないと思うとしたら残念なことだと思います。
ここが一番大切です。
身体も同じだからです。
信頼がなければ、身体は守りに入ります。
安心できなければ、呼吸は浅くなる。
触れると分かります。
肩が上がる。
顎が固まる。
お腹が抜けない。
解剖学的に見れば個人差はあっても、
大まかな構造のルールはほとんど共通しています。
けれど、人は知性のある生き物です。
耳や目で理解できると、呼吸が落ち着く。
心と体が追いつかないとき、
それは「現状を整理する言葉」がまだ見つかっていない状態です。
だから頑張りすぎて力が入る。
言葉が整うと、
思考が整う。
思考が整うと、
呼吸が変わる。
呼吸が変わると、
筋膜の緊張も変わる。
筋膜を扱っていると、
言葉ひとつで身体がほどける瞬間が、
手から伝わることがあります。
それは無理に変えたのではなく、
本人が納得してゆるんだ反応です。
私は心を“治す”ことはできません。
けれど、
心の状態が身体にどう影響するかを理解し、
身体を通して整えていくことはできます。
それが、私がメンターを学んできた理由と、
療術者としての責任です。
▶【筋膜アプローチの違い 】万博後に気づく──手で「膜の意志」を調律するということ。
広島で施術を受ける際、心と身体を分けずに見てほしいと感じている方へ。
私は心理を売りにしません。
学んでいるのは、施術の質を底上げするため。
肩書きより関係性。
理論より成熟。
導くのではなく、整える。
身体と同じです。
強く変えるのではなく、なじませる。
そして私は、
順番を飛ばさない関係を大切にしています。
身体の順番も、
言葉の順番も、
関係の順番も。
今、助けを求めるのが苦手な人も大丈夫です。
私も最初は苦手でした。
安心は、急いでつくるものではありません。
身体と同じように、
関係も、なじませていくもの。
余計な力が抜ける関わりを大切にしています。
それが、私の施術の姿勢です。

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